自分方位研究所

日々の活動記録

ホモ・デウス 上下巻

ホモ・デウステクノロジーとサピエンスの未来
ユヴァル・ノア・ハラリ 著 柴田裕之 訳

著者はイスラエル人歴史学者。「サピエンス全史」の著者。

題名の「ホモ・デウス」とは、人類(ホモ・サピエンス)がこれから目指す、不老不死などの神(デウス)の領域をも自由にできる人類という意味を込めて、そう呼んでいます。

 

上下巻合わせて500ページを超える本です。読みごたえあり。

上下巻ともに人類の歴史についてのお話ですが、上巻では主に現代までの人類の歴史についての振り返りを扱っています。歴史というか、人類が「やらかしてしまったこと」に焦点を絞っているようです。

一般の歴史書は、特定の時代の項目を読み始めると、その時代に起こった出来事が色々と説明され、読者は、一時、その時代の只中にいるような感じになりますが、本書では著者が現在の目線で語ることにより、読者が歴史を客観視できるようになっています。

話の進め方も、現在の状況と歴史上の出来事を対比するなど、過去と現在を行き来しながら進んでいきます。過去の出来事を説明していても、目指しているのは未来。これまでのことを踏まえて、今後どうなっていくのかが語られます。

また、グーグルを引き合いに出しての説明も随所に出てきます。たとえばこれからの例として、下巻p171では、 ある女の子が、同じくらい好きな男子二人のうちどちらを選べば良いかをグーグルにたずねると、その答えは・・・?、うーむ親切!と唸ってしまいました。


今後人類はどうなっていくのかということが知りたくて、この本を手にとる人も多いのではないでしょうか。
その問題については、主に下巻で展開されていますが、キーワードは「データ至上主義」
現在は、人間主導の「人間至上主義」。何か事を起こすにしても自分自身の感情が大切。自分で決めて実行していきます。
それがやがては「データ至上主義」に変わっていくという。
データ至上主義とは、すべてのモノはアルゴリズムに沿って動いていくというもの。
たとえば、人間の感情さえも神経を流れる電気信号レベルで考えれば、あるアルゴリズムにそって処理がおこなわれているに過ぎない。生きているということは、ただ単にデータ処理をしているに過ぎないというもの。


著者は、人工知能が人類を滅ぼすとかについては明言していませんが、人類より賢い存在について以下のように述べています。

下巻。p226からの引用。

人間がニワトリより優れているのは、人間がニワトリよりも多くのデータを取り込み、より良いアルゴリズムを利用して処理する(これを日常的な言葉で言えば、人間はより深い情動とより高い知的能力をもっているということ)
もし、人間より更に多くのデータを取り入れ、さらに効率的に処理できるデータ処理システムを創り出せたなら、そのシステムの方が人間よりも優れていることになりはしないだろうか? ニワトリより人間が優れているのとまさに同じように。
(引用ここまで)

意識を持たなくても、高度な知能を持ったアルゴリズムが人間一人ひとりのことを自分より良く理解するようになるだろうと。
現在でもグーグルやフェイスブックなどのデータベース上では個人の癖、好みなど、本人が意識しない嗜好などを本人よりもよく知っていると言われています。これをつきつめて「データ至上主義」として考えると、選挙などでは、有権者個人が誰に投票するかは、アルゴリズム的に予測できるので、選挙をする前に当選者がわかってしまう。もっというとだれが立候補するかも事前にわかってしまうということになるのでしょうか。

「データ至上主義」が進むと、全世界の人類を含む全ての物質(生き物/植物/生産物)がネットワークでつながり、無駄の無いスマートな世界が実現されると著者は言います。人間があれこれ考えなくても、高度な知能を持ったアルゴリズムが、うまくやってくれると。


そして最後に、著者が展開した説に対して、3つの問いを読者に問いかけて本書は終わります。
この問いかけを覚えていれば、この先、現実味を帯びてくるであろう、2045年問題。人工知能が人類を超える日についての様々な出来事について、自分なりの考え方を持てるようになるでしょう。