自分方位研究所

日々の活動記録

新聞配達のこと

目覚ましの話で、新聞配達をしていたことを思い出しました。新聞奨学生。新聞を配る代わりに学費を出してあげますよというあれです。

大学入学までの1年間。今では早起きするのに四苦八苦している自分が、ほぼ毎朝3時半に起床していたのでした。時間内に配達しないといけないので、寝坊は許されません。

配達の前に、折り込み広告を該当する新聞紙に挟み込むところから始めます。私がいた専売所は、広告の自動折り込み機がなかったため、各受け持ち区域分を人力ではさみ込んでいました。

配達地域が専売書の近くでしたので自転車でした。4時に配達スタートし、走りっ放し。一度に積めないため、途中で新聞を取りに戻ります。だいたい2時間で完了でした。

食事は専売所のまかないご飯。朝食を済ませて、7時半には通学。予備校です。

16時から夕刊の配達。こちらは1時間半くらいで完了。

月末には集金業務がありました。これもけっこう大変で、手持ちが無いから今度来てとか、いつ行っても留守とか。特に独身サラリーマンへの集金は大変で、帰宅は遅いし、朝は早いしで苦労しました。 これが毎月20日から31日まで続きます。未回収分は翌月持ち越し。2ヶ月分をまとめて集金することになります。

新聞配達は、週1回、朝刊/夕刊の配達を休める日があって、別の人が自分の区域を配達してくれます。その日は3時半起床から開放されます。あとは、新聞がお休みの日。夕刊の無い日も、気分的にすごく楽でした。

専売所には予備校、専門学校、短大、4年制大学と、さまざまな学生がいました。私と同期で専売所に入った人で、予備校に行かず宅浪という形態の人がいました。自宅は大阪。志望大学は京大一本。京大なのに何故か東京に出てきてアパート暮らしです。大変物静かな人でした。その後、彼は見事京大に合格。
彼の実家から大量の靴下が送られてきて、専売所の人全員に10足くらいもらったことがありました。 新聞配達は靴下の消耗も激しいので、良くわかっておられるご両親だなぁと皆でありがたく、また感心したものでした。

その子も私も1年で「出所」となりましたが、あと3年頑張るという人もいました。
SNSも無かった時代とはいえ、仲間と手紙のやりとりくらいはできたはずなのに、筆不精で特に連絡も取らず今に至ります。Facebookで呼びかければ連絡が取れるのかなぁ。

ストリートビューで、当時住んでいたあたりを見て回りましたが、すっかり変わっていました。その当時から古かった専売所は、キレイな3階建てのビルに変わっていて、その1階が新聞販売店でした。向かいのパン屋さんも無し。

40年もたてば総入れ替えでしょう。きょうはこのへんで。