自分方位研究所

日々の活動記録

一万日連続投稿への挑戦

特別お題「わたしがブログを書く理由

何をやっても続かない私ですが、妙なモノを続けてしまう癖があります。

たとえば、バナナに付いているシールのコレクション。何気なく始めて、そのうちバナナの購入基準はシールが付いているかどうかで判断。

また、スターバックスの紙カップに貼られてある茶色のシール。
そして、牛乳の代わりに豆乳やオーツミルクを選択すると貼られてくる「SoyMilk」、「OatMilk」のシール 。これはある日、手帳に貼り付けてから止められなくなってしまいました。カップにシールが貼られていると、剥がして手帳に貼らずにはいられません。そのため手帳がシールで埋まってしまい、シールが書くスペースを圧迫しています。

幸い、バナナの方は、いつの間にか途絶えており、現在はシールの有無でバナナを選ぶことはありません。しかし、スターバックスのシールは現在継続中。どうにも止まりません。

バナナのシールもスタバのシールも貼ってあるのを観察すると、ほぼ同じものが並んでいます。同じものを貼り続けることのどこに意味があるのでしょうか。何か理由があって集めているはずなのですが。

うーむと考えてみると・・・連続性。続けること。何かを続けているということ自体に意味を見い出しているような気がします。

バナナに付いているシールを集める。今までそうしてきたから、今止めてはこれまで続けてきたことが無駄になる。そういう思いがあって続けてしまう。

スタバのシールについても、毎回飲んだら必ずシールを取っておく。今回止めてしまったら、今まで毎回やってきたことの連続性が途絶える。それはいやだ。続けたい。記録を伸ばしたい。

そのような思いがあって続けてしまうのだと思います。楽しくて続けているのではなく、半ば強制的にやっているような気がします。

因果な性格です。この続けたい気持ちを、もっと良い方向に使えないものか・・・

あっと思い出したのが一つありました。早起きです。この、私の癖を上手く使って早起きできるようになりました。

どうしたかというと「早起きスタンプカード」を作ったのです。これは何者かというと、A4用紙の一番上に、「連続○○日達成!」と記入し、○○の部分は空白にしておきます。
そしてその下にカレンダーのように縦横に線を引いて、マスメを100日個ほど作って、それぞれのマスに数字を記入していきます。これで完成。

ちゃんと起きることが出来たらスタンプをマスメに1個押す。そして連続○○日達成!の○○に連続日数を記入します。工事現場の事務所などに掲示してあるだろうアレです。

先ずは翌日の「連続1日達成!」からスタート。このカードは、机の横に常に見えるところに貼り付けておきました。

やってみるとこれが調子良く、連続達成が続けられます。今までは、目覚ましを複数使っても二度寝三度寝はあたりまえで、毎日がっかりな気分で一日を始めていましたが、それが嘘のようです。

スタンプが連続してたまってくると、どんなに眠くても「記録が途絶える」という恐怖心が、もう少し寝ていようという悪魔のささやきに打ち勝つことができるようです。

3か月続ければ習慣化できるとの言い伝えどおり、100日ほど連続でスタンプを押したところで、もうスタンプに頼らなくてもよくなり、このスタンプ方式は止めてしまいました。

それ以降は、起床時間は自由自在。起きたい時刻に起きることができるようになりました。

今でも確かに起床直後はめちゃめちゃ眠いのですが、そのままフラフラしつつ起き出してしまいます。

 

前置きが長くなりました。

お題の「わたしがブログを書く理由」ですが、この連続性にこだわる妙な癖が原動力になっていると思います。

本ブログのスタートは2016年の元旦。キリの良い、スタートにふさわしい日ということで始めました。最初は連続投稿とか、そういうのは考えておらず「ブログでも始めてみるか」程度の理由だったと思います。

しかしながら、あの連続性にこだわる癖のせいか、とりあえず何か投稿して、「投稿した事実」だけは途切れさせたくないという思いで今日まできたような気がします。

スタートした当初は、何かしら読み物としての体裁を整える努力だけはした、という記事もありますが、それも続かず、題名が「今帰り」本文は、「きょうも疲れた」というようなTwitterもびっくりな状態が続くことになります。まだ会社勤めをしていた頃、帰りの電車に飛び乗って、忘れないうちに投稿。まとまった文字数の記事を書く心のゆとりがありませんでした。

当時は「こんなの意味ないなぁ」と思いつつ投稿していましたが、7年経過した現在、改めて読み返してみると、当時の手帳も合わせて読んでみたくなり、実際そうして読んでいくと、徹夜だ、病気だ、気分はどうだなど様々なことが懐かしく思い出されます。なので、こんな短い一言投稿ではありますが、年月が経過するに従って重みが増してくるような気がします。

最近はどうでしょう?状況はそれほど変わっておらず、連続投稿とは言ってもいい加減で、当日中に完成する見通しが立たない記事については題名のみ書いて、本文は「(作成中)」の5文字で済ませたり、書くことが思いつかない日は、題名が「本日お休み」。本文は、同じく「(作成中)」。こんなん投稿ちゃうやん、という日もしばしば現れます。

 

「はてなブログ」にはダッシュボードと呼ばれるブログ管理画面があり、アクセス数、読者数、コメント数などの他に「ブログ投稿日数」というものが表示されています。

ブログを開始してから、記事を投稿した日数と、本日までに連続して何日投稿しているかという日数がわかるようになっています。

私のブログだと、記事の投稿日数と連続日数が一致しています。

この「一致している状態を続ける」ということが、私がブログを続けている理由になります。

この連続日数表示がリセットされるのが恐ろしくて、きょうも投稿するというのが「わたしがブログを書く理由」の正直なところなのです。

そんな私ですが、この連続日数が1,000日を超えた頃、10,000日という数字がチラチラ浮かぶようになりました。10,000日というと、27年と4か月半。

この一万日にこだわった書籍があります。

吉田智彦 著「信念 東浦 奈良男 一万日連続登山への挑戦」(山と渓谷社 2012) というルポルタージュ。本書では 普通の勤め人であった東浦 奈良男さんという方が、定年退職した翌日から、「以後出勤先は山となる」と手帳に記入。毎日連続登山を開始し、10,000日連続登山を目指すというもの。その日々の生活、登山の様子を、本人へのインタビュー、登山への同行、そして、ご本人の日記(登山記録)をもとにまとめられたもの。60歳で定年退職から一万日後というと87歳になっています。

東浦さんの連続登山への執念は尋常では無く、事故で骨折した日でさえも、病院からの帰りに登山をしていらっしゃいます。
残念ながら、10,000日連続達成を目前にして、病に倒れられましたが、その偉業をたたえ、東浦さんが元気であれば達成したであろう10,000日目を発行日として本書は刊行されました。あとがきとして書かれた、山と渓谷社編集長の言葉も胸を打ちます。

この本のことを思い出し、ひょっとしたら10,000日いけるかも。東浦さんのように体を張って毎日実行に比べると、ほど遠く、指先だけで続けていける気軽さはありますが、それでもやりとげたら、何か見えてくるものもあるのではないか、そんな気がします。

なので、改めて「わたしがブログを書く理由」を、声を小さく「10,000日連続投稿のため」としておきたいと思います。

ちなみにブログ開始の2016年1月1日(金)から10,000日後は、2043年5月19日(火)。

あと19年と8か月ほど残っています。まだまだ先は長い。