自分方位研究所

日々の活動記録

新聞がたまる一方

新聞がたまる一方です。一応読んではいるのですが、捨てられない。さてどうするか。この困った性格のために、5年ほど新聞の定期講読を控えていたのですが、テレビもないので社会の接点にと、退職を機に講読を再開したのですが・・・

たまってきた朝刊と夕刊。朝刊と夕刊を別々に積んでいく。
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一応は読んでいると言いつつ、眺めているだけのような気がします。見出しだけを追っている感じ。
頑張って読み終えたとしても、読み終えた記事の内容はほとんど頭に残っておらず、ただ時間を消費しただけのような虚しさが残ります。
この原因としては、基礎的な知識というか世間の動向が何も判っていないので、これまでに読んだ記事と、今日読んだ記事がリンクできず、毎回新しい記事として一から読んでいくことにことにあるのではと思います。 記事の中には、全く新しい記事が出てくることもあるでしょうが、以前の続報や、季節、年ごとにくりかえされる案件、選挙、首脳会議など、あらかじめ流れが判っていれば、今日読んだ記事が過去の記憶と結びつき、それが新たに知識として蓄えられる。なので、隅から隅まで記事を読まなくても、今までの知識がそれを補完してくれるようになるのではないでしょうか。
新聞を読まれる多くの方は、たぶんそうやって読めば読むほど、読む時間が短縮されるのではと。

日経新聞を例にとると、朝刊のページ数は、多い日で44ページ。一番少ない日曜で32ページ。3割弱が前面広告なので実際に読む紙面はざっくり26ページといったところでしょうか。1ページ1分で読んでも26分かかる計算。記事の切り抜きとかやっているとあっと言う間に1時間は経過してしまいます。

何で記事の切り抜きをやるのか?・・・

  • 一通り読んだけど、後で読み返すため。(少し)
  • 定期的な連載で、データとして残しておきたいため。(多め)
  • 今は読む時間がないので、後で読むため。(たくさん)

今は読めないので、切り取って、時間のある時に後で読もうとしたら、切り取ったページが膨大になり、また、表面、裏面両方に切り取りたい記事があった場合、そのページ丸ごと切り取るハメになり、気がつくと、手元に残った用済みの新聞が魚の骨のようにスカスカで、切り取ったページの方が断然ページ数が多くなったりすることもありました。これでは、切り取っている意味があるのかどうか。切り取らずにそのまま読んだ方がいいような・・・

結局、私の場合は、新聞が溜まっていくのは、これが原因ということになります。
ためない方法は、今日の新聞は今日読む。明日は明日の新聞を読む。という当たり前のことをやっていくしかないです。

「ヨクヨム」とは本当に良くできたコピーです。

きょうはやめて明日の自分に丸投げ「シクヨロ」ではいつまでたっても今のままですね。きょうからちゃんとやっていきます。